美しさとおいしさ
毎日、珈琲豆を見つめる時間が長い仕事をしていると、おもわず、一人で、ニッコリする時があります。それは自分の焙煎した珈琲豆が、ウットリするくらい、美しく揃って焼けた時です。
色、形、膨らみ具合を、その豆の理想的な姿に仕上げたと、ある種の達成感にも似た、悦に入る瞬間です。
もちろん、豆の種類によっては、現地で一粒一粒、厳選されており、その豆は、やはり美しく焼けます。が、そこまで厳選されていない豆で美しく焼けたときは本当にうれしいものです。しかし、その至上の瞬間も「マスター、その豆、挽いといて」と言われると……きれいに仕上げた美術品を自分で壊す(挽かなければ飲めないのに、大げさな)悲しさもあります。
さて、本題です。美しい豆=おいしい豆でしょうか。(おいしいという基準自体があいまいですが)
同じ種類の豆であれば、たぶん美しく揃った豆で淹れたコーヒーの方がおいしいでしょう。しかし、種類によっては、そうとは言い切れない場合もあるのでは、と思うのです。※きっと、同業者やマニアから異論、反論がでますね。
実は、こんな経験があります。インドネシア産のマンデリンという豆があります。この豆を、丁寧にピック(一粒一粒選別)したものと、適当にピックしたものを飲み比べると…意外にも、後者の方がおいしい(また主観的であいまいですが)と感じました。実は、その場にいた私を含めて3人が3人とも、そう感じたのです。もちろん、その評価にはマンデリンらしい強い苦みや独特の甘みを感じられるという点が重視されたからかも、しれません。しかし、同様に、イエメンのモカマタリでも同じことがあったのです。
機会があれば、ぜひ皆さんも試してみてください。美しい=おいしいとは、限らない場合もあります。