「感と経験」から「データ化」へ その1
(個人的な感想です。読んでもおもしろくないと思います)
珈琲の世界では、いままで職人技が求められてきました。 〇〇珈琲店のバリスタ△△氏の淹れるコーヒーがおいしい、とか××焙煎所の●●ロースターの焙煎する豆が最高、という話はよく聞きます。それは、そこには経験の蓄積と勘所が重要なものとして存在していました。
長年の試行錯誤の中で、一定レベルに到達できたものの中から、消費者に淘汰されずに生き残ったものが評価を得る。(もちろんある種の宣伝やイメージに影響されることも多々ありますが)そして、それは師匠から弟子に受け継がれていく。そこで大きく発展したり、逆に評価を落としたり…
もちろん、珈琲だけでなく、料理やお酒…、広く言えばクリエイティブな世界には、多い少ないはあっても、この「感と経験」が今まで重要とされてきたように思えます。
昨年(2014年)ビックリしたのは、それが科学の分野にまで波及したかと思った点です。例のSTAP細胞騒動です。「ある種のコツ」という言葉が科学者の口から出たのには驚きました。それが素人にもわかりやすくするための言葉のあやとは思えなかったのは私だけではないでしょう。客観性と再現性が重視される自然科学の世界で「コツ」という「感と経験」を重視する言葉を聞いた時の違和感は、逆にコーヒーの世界でも「感と経験」に頼っていてはいけないと改めて思ったのです。
そんな時に、大阪のダーズカフェのマスターから濃度計の話を聞きました。コーヒーの濃度を濃度計で正確に測定するという話です。なるほど、メジャースプーンに少し山盛りに1杯の珈琲豆をとって挽いて、カップ1杯分のお湯で淹れるというあいまいさが吹き飛びました。(その2へ続く)